世界を見渡してみるだけでも美人の基準は様々。
色白が好まれる国もあれば、程よく焼けた小麦色の肌が好まれたり、ある国ではスリムな人がモテるのに別の国では逆にぽっちゃりとした人がモテたりと、美人の条件は必ずしも世界共通というわけではありません。
美人とみなされる基準は文化や流行など周囲の環境が大きく関わっており、そしてこれは時代によっても大きく左右されてきました。
では、日本での美人の基準はどのように変化してきたのでしょうか?
雅な日本文化が花開いた平安時代から遡って見ていきましょう。
平安時代の女性と聞いて、皆さんはどんな姿を想像しますか?
一般的には教科書でよく見るような平安貴族の女性を想像するかと思います。
床まで伸びた長い髪にふっくらとした顔、丸い眉毛におちょぼ口など現代ではなかなか見ない特徴をしているイメージがありますよね。
実はこの姿こそ、平安時代では美人の象徴とされていました。
今ほど食べ物が豊富でなかった当時、ふくよかな体型はお金持ちの証。
また現代における化粧である白粉をしていたため、眉毛が浮かないように全部抜いて眉を描いていました。
平安時代以前から、高貴な身分である人は感情を表にすることはタブーとみなしてきた歴史があります。
眉毛は意外と自分の感情が出やすいので、自分の教養の一つとして自分の本来の感情をひた隠しにし、落ち着いた雅な女性を演じていたようです。
時代は飛んで江戸時代。
世が常に殺伐としていた戦国時代から一転、200年以上も平和な時代が続いた江戸時代では、現代でいう「華奢」な女性がモテていました。
幕末には写真の技術が出てきたこともあって、なんとなく想像しやすいかと思いますが、浮世絵にも描かれているように細面の顔にスッと通った鼻筋、優しい印象を受ける涼しげな目元など、現在のパッチリした美人よりかは儚げでどこか掴めない雰囲気を持っています。
その特徴を見事に合わせ持つ、坂本龍馬の妻お龍やシーボルトの孫楠本高子が、江戸美人の代名詞と言えるでしょう。
文明開化が起こり、西洋文化が入り始めた明治時代。
ここから、現代にも通じるパッチリ二重やシャープな顔立ちなどが美人の第一条件となってきます。
西洋人の特徴をほのかに感じさせるモダンな雰囲気が好まれたようですね。
また服装も洋装がよく取り入れられたこともあり、当時の先進国である海外のトレンドを上手く取り入れられるオシャレ上手も、モテ要因として欠かせない条件でした。
最後にご紹介するのが、皆さんもなじみ深い昭和時代の美人です。
昭和の美人は、白黒写真でもその輝きが伝わるほど可憐で美しい人が多いですよね。
ここでもやはり綺麗な二重や筋の通った高い鼻、そして綺麗な歯並びの女性が美人と見なされていました。
一方で現代ほど体型にこだわりはなく、ふくよかではないもののほっぺたが可愛くぷっくりとするくらいの体型が好まれていたと言えます。
吉永小百合さんや加賀まり子さん、黒柳徹子さんやデヴィ夫人が昭和美人の代名詞と言えるでしょう。
時代ごとの美人の基準を見てきましたがいかがでしたでしょうか?
やはりその時代によって美しいとされる外見は違ってきましたが、どの時代にも「艶やかな黒髪」「色白の綺麗な肌」そして一番重要な「知性と教養を合わせ持つ凛とした姿」が、美人の第一条件だったように思います。
美人の基準は日々変わりますが、ぜひあなただけが持つ魅力を忘れず、これからも綺麗を目指していきましょう!